茶道体験教室に参加してーベン・イーファン

茶道体験教室に参加して

シンガポール国立大学 日本語6

ベン・イーファン

去年、私は偶然川端康成の「美しい日本の私」の中国語訳を読みました。「日本の茶道も、『雪月花の時、最も友を思ふ』のが、その根本の心で」と、彼が書いています。美しい風景がありながら、一緒にその風景を楽しむ友達がいません。そのお茶に込めるのは「二度と再会できない」という悲しみか、旧交を温める機会の楽しみか、或いは遙か彼方にいる友との暖かい思い出か。私は川端康成の文章に、茶道の静寂を感じました。

先月Clarke Quay で行われた裏千家茶道体験教室に参加しまし、「わび さび」を追求する侘び茶に新たな感銘を受けました。

十人一緒に見学できるように、茶室は九畳の広間です。にじり口という小さな入口ですから、身をかがめなければ入れません。にじり口に入ってまず目に入るのが床の間です。光に照らされた床には、「和敬静寂」と書いた掛け軸、簡素な花があしらわれていました。「小座敷の花はかならず一色を一枝か二枝かろくいけたるがよし」、「開き切った花を生けてならぬ」と、利休は言いました。日本人の美意識に於いて一輪の花は百輪の花よりも、部屋を明るくし、彩りを添えるとされます。この極めて質朴な茶室を見て、少し川端康成の話がわかったように感じました。

茶道教室では、「一期一会」という言葉を先生から教えてもらいました。「人との出会いを一生に一度のものと思い、相手に対し最善を尽くす」という意味です。客の前できちんと茶碗を拭き清め、二回も茶筅をとおして、きれいな動作でお茶をたてました。もてなしの心が見られました。後で亭主は茶碗を受けとって、茶筅から始めて茶釜の水まで元どおりにしました。一生に一度の出会い。茶会の後は別れです。この場合、何か記念品を贈ったり貰ったりしたいです。別れた友人をすぐに思い出せる物が欲しいです。而も茶道の場合に、茶会の後、亭主は茶室にある全ての物を茶会を行う前の様子に戻さなければなりません。つまり、客と別れたあと、茶室には客が残らないのです。客を思い出させる物もありません。寂しいではありませんか。よく中国の詩に詠じられる「手を 執りて 相ひ看て 涙眼(るいがん)し,竟(つひ)に 語る 無く 凝(とどこほ)り 噎(むせ)ぶ」別れの場面が頭に浮かびました。もしそれが一生に一度の出会いならば、別れは耐えがたいものであるはずなのに、なぜ日本人はそんなに平気でお茶を飲むことができるのでしょう。おそらく日本人にとっては、亭主が心を込めたもてなしの茶だけお客に味わってもらうことが出来れば、充分なのでしょう。「君子の交わりは淡きこと水の如し」。「和敬静寂」の侘び茶が目指しているのは、その淡い精神なのかも知れません。